たった一人の意見でも

 現代は情報社会で、たった一人の意見でも正しい意見なら採用される場合も有ります。
そのたった一人が、田舎に住んでる私みたいな普通の人でもです。
 何十年以上も前のテレビの有名なクイズ番組の視聴者用プレゼントのカレンダーの表紙が
「CARENDER」だったので、自分でカレンダーを作成した事のある私は、正しくは「CALENDER」と指摘して
番組に、はがきで送ったら司会者さんが読んでくれました。「そんなもの私は欲しくない」と。
その番組が、カレンダーの印刷をやり直したかどうかは不明ですが、私は何も、もらえませんでした。
 数年前に、ネットで飼えるペットのゲームに「ゲームパークを作って欲しい」と要望したら
作ってくれましたが、私は、そのゲームパークで遊んだ事なんて、ほとんど無いです。
 去年か一昨年の夏頃、「某国営放送は無駄を削減して受信料を値下げして欲しい」と某質問サイトに書いたら
その年の秋には、受信料の値下げが発表されて実施されました。
 そして今年の夏に、アイテム先送りで精神的苦痛を受けて人に何の救済措置もしないゲームの運営と、トラブルになり
日記等に、そのゲームの追放の事を書いたら、10月末に、サービス終了の告知が有りました。
 もし、私みたいな人が、世の中に、もう一人居たら、私は、その人と関わりたくないです。
正しい意見が採用されても、自己満足が残るだけで、虚しいだけです。